藻岩地区の地形と気候
現在、川沿地区は北(藻岩山531m),西(砥石山826m),南(硬石山377m)の三方を山に囲まれた陸地です。このような地形はどのようにしてできたのでしようか。
陸地•山地の形成
ずっと海の底だった
このあたりは地球の歴史46億年に比べると、つい最近の二千数百万年前までは海の底だったのです。その後、地殻変動によって、隆起•沈降を繰り返し、気候の変動(水河期など影響による海水面の変化)の影響も加わり、陸地になったり、海底になったりしていました。八百万年前頃は海牛などが生息していた穏やかな海だったことが、化石からわかっています。
砥石山
海底火山が陸地を形成
七〜六百万年前頃から火山活動が活発になり、海底火山が噴火を繰り返し、溶岩を流したり、噴出物を積もらせたりして陸地になり、現在の地形の原型ができました。
硬石山、藻岩山、砥石山の順
現在もある山は。硬石山(約440万年前)、藻岩山(約250万年前)、砥石山、(約200万年前)の順で活動を終えたと思われます。川沿地区は最後に形成された砥石山の東側斜面のすそ野にあたります。
岩石が示す成り立ち
藻岩山が海底火山だったことは枕状溶岩(マグマが海水で急激に冷やされ枕のような形になった岩石)の存在で分かり、これらの山が火山だったことは、山体を形成している岩石が主に安山岩という火山岩(マグマが地表付近で短期間に冷えてできる結晶の少ない岩石)であることからわかリます。
砕石が採取されている硬石山
札幌のまちづくりに使われている岩石
硬石山から採取され、札幌の道路や建物の基礎に敷かれたリ、コンクリートに混ぜられ建築の材料になった砕石はマグマが冷えて固まった岩石なのです。
地形を変える川
谷や沢をつくる川それらの山ができるとすぐに川が流れ、山を浸食して谷や沢を作ります。藻岩山と砥石山の境を流れる北の沢川、砥石山から下ってくる中の沢川や南沢川、白川等などです。それらはいずれも豊平川に合流し、やがて石狩川に流れ込み日本海に注ぎます。そのうち北の沢川と中の沢川が川沿第一町内会を流れており、北の沢や中の沢の語源にもなった沢を形作りました。藻岩北会館のところで合流して、豊平川に流れ込みます。
豊平川の流れを変えた支笏火山の噴火
今から約4万年前、支笏火山(現在の支笏湖のところにあった富士山のようなにきれいな形をし、高くて大きな
火山だったと推測されています)が大噴火し大量の火山灰を吹き上げ山_体も砕けて火砕流となり一気に流れ下りました。その先端は今の藻南公園近くまで流れて固まり、石山軟石と言われる岩石の壁を作りました。それが豊平川の流れをさえぎったため、現在のように藻南公園を通って北向きに流れ、日本海に流れるようになりました。
豊平川がつくった川沿
豊平川は今のように上流にダムがなかったので、水量が多く度々洪水をおこし、流れを変えていた暴れ川でした。山側(西側)を流れていたときは激しく砥石山のなだらかだったすそ野を削り、崖をつくリました。藻南公園から、セイコーマート向かいの「グローバル川沿」の後ろを通って割栗(藻岩山の東端)まで続いている崖はそのようにしてつくられました。豊平川が流れていたところは平地になり、旧道と国道230号線が通っています。
また、その崖の下を流れていた豊平川やそこに流れ込む北の沢川などの川は多くの淵(水が深くよどんだ所)をつくりました。淵の多い川を意味するアイヌ語(ハ ツタルペッ)が藻岩地区の以前の名称「八垂別」の語源になっていました。
そのようにして削られた土砂や、上流から運ばれた土砂は下流で堆積し、札幌扇状地をつくり、札幌市 中央区の地形が形作られたのです。
昭和18年頃のチューリップ畑
後ろの黒いところが豊平川の流れによってできた崖(木が繁茂し黒く見える)
地形による川沿の天候の特徴
川沿地区は札幌市の中心部より標高が高いので気,温がやや低めになります。しかし、三方を山で囲まれているため、あまり強い風が吹かず穏やかな日が多いのです。
特に、冬に多い北西の季節風は、その方向にある高い山のおかげで周りの地域が猛吹雪のときも比較的穏やかで積雪も少なくて済みます。しかし、冬の終わりの頃の南寄りの風が吹くときには、積雪が増えて 雪どけが他の地域より遅くなる傾向があります。
山のない東寄りの風が吹くときは、斜面をさかのぼる強い風が吹くこともありますが、それ以外は穩やかな天気が続くのが、この地域の特徴です。